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【インタビュー】これまでの経験とクラブの文化を融合させた柔軟性のある指導で子どもたちを育てる~ヌネス・ダ・シルバ・ジョゼ・アントニオ コーチ~

2021年4月、日独フットボール・アカデミーは、ヌネス・ダ・シルバ・ジョゼ・アントニオ氏(以下、ジョゼコーチ)をコーチングスタッフとして迎えました。ブラジル出身のジョゼコーチは、17歳でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせると、ブラジルの数々のクラブで経験を積みました。日本ではJリーグが誕生前の日本サッカーリーグでプレーをし、引退後は日本で指導者の道へと進みました。そんな経歴豊富なジョゼコーチだけに話の引き出しも多いことでしょう。そこで、エピソードを披露してもらうべく、インタビューを行いました。

――ジョゼコーチは、日独フットボール・アカデミーでは初めてのブラジル出身の指導者ですが、日本とドイツ、そしてブラジルで指導に違いはあるのでしょうか?

僕はブラジル人ですが、ヨーロッパのサッカースタイルを取り入れるのは初めてのことではありません。オランダ人指導者のヤン・フェルシュライアン氏がジェフユナイテッド市原・千葉の監督だったときに、僕はサテライトチームのヘッドコーチでした。ヤン氏のコンセプトを意識しながら、僕がブラジルで学んだ駆け引きの技術を融合して指導したことがあります。コーチとして大切にしなければいけないのは“選手を育てる”ことです。そのためにはクラブや監督のフィロソフィ(哲学)を重んじる必要があるのです。

――つまり、指導者自身の出身地や国籍によるサッカーのスタイルは指導にあたって優先されることではなく、いままでの経験をうまく活かしながら、クラブの育成コンセプトを支えることが育成年代の指導に大切なんですね。

例えば、ブラジルは2014年に自国で開催されたワールドカップの準決勝でドイツと対戦して1-7で負けましたよね。当然、敗戦の痛みは大きなものでしたが、私は逆に感謝しないといけないと思いました。成功ばかり続いて自分の中ばかりを見ていると、世界の他の国々の変化に気がつくことが遅れてしまい、いつの間にか現代サッカーのトレンドから取り残されて、自分たちが進むべき道を誤ってしまうからです。もちろんブラジルにはブラジルのサッカースタイルがあり、ドイツの真似をしろということではありませんよ。ドイツのスタイルから良いものがあれば取り入れることが必要なのです。それは他の国にとっても同じことですね。

――ジェフユナイテッド時代には、ドイツ出身のゲルト・エンゲルス氏、そして元日本代表監督のイビチャ・オシム氏のもとでコーチを務めた経験もありますね。

はい、彼らから技術やサッカーへの考え方を学ぶことができました。――オシムさんの指導で印象に残ったことですか? そうですね……。たくさんありますが、ひとつの言葉を選ぶとなると“柔軟性”でしょうね。考え方に柔軟性がなければ学びはありません。柔軟性がなければ新しいものを取り入れることはありませんからね。当時はオシムさんにコーチたちもいろんな質問をして学んでいましたし、オシムさんもスタッフの意見も聞きたがっていました。

――なるほど。“柔軟性”のある指導というのは、先ほどの話につながっていますね。

そう‼ コーチはカメレオンにならないといけない(笑)。カメレオンは環境によって色が変わりますよね。僕はブラジルから日本に来たけれど、もしもイタリアで指導することになったらイタリアの文化を理解する。イタリアにはカテナチオと呼ばれる守りの文化があります。サッカーだけではなく、歴史の中でも家族を守ることを大切にしてきました。

日本サッカーにも歴史があります。日本人は守るだけではなく、守りながら攻撃もする。そういうメンタリティーがあるので、そこを意識した指導を取り入れるわけです。でも、日本のサッカーは僕が来日した当時とはだいぶ変わってきました。自国の文化は譲らないけれど新しいものを取り入れる。それが非常に大切なんですね。

――ジョゼコーチが日本に来たのは1987年ですよね。

そうです。もう33年も日本にいます!! すごい早い、びっくりするくらい(笑)。本当は、あちこちいろんな国に行きたかったから、3年くらいしたらスペインとか別の国に行こうと思っていたんです。けれども僕は日本人の女性と結婚しました。それが日本に残った理由のひとつですね(笑)。

――来日当時は指導者ではなく現役のプレーヤーでした。

セレッソ大阪の前身になるヤンマーディーゼルです。17歳でプロサッカー選手になって、日本に来たのは現役生活の終盤になります。裏話をすると、本当は日本ではなくてギリシャのパナシナイコスFCに入団するはずでした。そこから1年目はローン移籍で別のクラブに行き、翌年にパナシナイコスに戻ってプレーをする計画でした。ところが、ギリシャに行く前に、子どもたちとプレーをしているときにヒザをケガしてしまったのです。ギリシャのクラブは即戦力を期待していたので、結局、他の選手が選ばれました。

やがてケガが治ってから、日本に行く決意をしました。あの頃から、日本には多くのブラジル人サッカー選手がいました。Jリーグの準備のために、日産(現:横浜F・マリノス)ではブラジル代表のキャプテンを務めたことがあるオスカー氏(ジョゼ・オスカル・ベルナルジ)や、後に日本に帰化して代表となった呂比須ワグナー氏がプレーしていました。

――日本で2年間の現役生活を続け、1989年に引退してからは、国内の様々なクラブで指導されていますね。

引退してからはサッカースクールで全国を回ったこともあります。もう月曜日から次の月曜日までずっと(笑)。忙しかったですね。92年からは読売クラブ(現:東京ヴェルディ)で通訳兼アシスタントコーチに就きました。でも、僕の本職は通訳ではないし、育成の現場に立ちたかったんです。僕は引退をしてコーチになったら、育成年代の指導をして子どもたちと一緒に成長したかったんです。だから僕は指導者になってから、ジュニアの指導から始めてユースまでの育成年代を経験した後にサテライトとトップチームを担当しました。結果として、ジュニアからトップまですべてのカテゴリーを経験することができました。

――どうして育成年代の指導からスタートさせたいと思ったのですか?

指導者が育成年代の指導から経験していれば、トップチームのコーチになったときに、選手が、どのような少年時代を過ごしてきたのか理解できるからです。その選手が小学生や中学生のときに、技術やメンタルへの取り組みについて、何をやってきたのか、何をやってこなかったのか、が見てわかるようになり、それを指導に還元することができるからです。

僕が選手だったときのことですが、ジャウマ・サントス氏に「引退をしたら育成からしっかり面倒を見ないといけないよ」と言われたことがあります。彼は1958年と62年のワールドカップでブラジルが優勝したときの右サイドバックでした。ブラジルの黄金期にペレと一緒にプレーをし、まだサイドバックが守備的な役割だけをしていた時代に、初めてオーバーラップで攻撃参加をした名プレーヤーでした。彼は僕の監督で、いつもいろいろな話をしてくれました。「試合に勝つのは難しいことではない。でも負けたときに見つけた材料から、どうやって新しい課題を作り出すか、それは私たち指導者に能力がなければできない。試合に負けたときこそ、私たち指導者が分析して、ちゃんと選手の面倒を見ないといけない」そんな話をしてもらったことを覚えています。

サッカーで“負け”といっても、いろいろな負けがあります。プレーの内容は良かったけれど試合の結果は負けということもあるでしょう。反対にプレーの内容が悪ければ、試合に勝てたとしても内容では負けていますよね。あるいは先制点を奪われたことで選手がすぐに試合をあきらめてしまったら、それはメンタルでも負けています。サッカーには、結果、内容、あとはメンタリティーも大切なのです。

――育成年代から、メンタルについても指導者と選手が向き合う必要があるということですね。

そうです。僕は17歳でプロになったときに、いつも緊張していました。あるときクラブのメンタルトレーナーと面談をしたときにこう言われたのです。「誰でも緊張することはある。緊張するのは決して悪いことではないんだ。緊張には良い緊張と悪い緊張がある。良い緊張は、エネルギー、ガソリンになるから活かせばいい」そして、悪い緊張を良い緊張に持っていくためのプロセスを教えてもらいました。おかげで随分と楽になったものです。

つまり、僕たち指導者は、ただサッカーの技術や戦術を教えればよいのではなく、ときにメンタルトレーナーであり、フィジカルトレーナーであり、お兄ちゃんであり、お父さんである――その役割を全部ミックスしたのが育成年代の指導者なのだと思いますよ。

――それでは最後に指導で大切にしていることを教えてください。

日独フットボール・アカデミーで楽しみなことは選手の毎日の成長です。選手たちが、今週練習したことを次の試合で活かせるようにする、そのために僕はここにいます。練習を積んでいなければ、いきなり試合で難しい技を披露しようとしてもできるものではありません。育成年代の選手にとっては一日がとても大切です。レンガ作りの建物に例えると、いまは、レンガを一つひとつ積み上げている状態といえるでしょう。ただ積み上げればよいのではなくて「建物が崩れないようにするためにはどうすればよいのか?」と考えながらレンガを積んでいくわけです。積み上げるプロセスを大切にしたいのです。完成した建物が、ちょっとしたことですぐに崩れてしまうか、嵐のようなときにも耐えることができるか、それは一つひとつのレンガを積み上げていくプロセスにかかっていると僕は思います。

ジョゼコーチはインタビューを終えると、何人かの年代別日本代表選手の名前をあげました。ジョゼコーチのかつての教え子たちです。「そう、僕が指導したことのある選手たちがU-24などの代表に選ばれています。今度はこの子たち(日独フットボール・アカデミーのジュニアユースの選手たち)が代表を目指す番です。僕は(彼らが日本代表になるのを)狙っていますよ。どこまでできるかすごい楽しみにしています!!」そんな頼もしい言葉で締めくくってくれました。

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